東京高等裁判所 平成8年(う)652号 判決
被告人 相良圭一
〔抄 録〕
論旨は、要するに、原判決は、被害者に生じた全部の傷害について、被告人に責任を負わせているが、被告人の暴行及び八巻との共謀の事実が原判決のとおり認められるとしても、原判決は共謀の成立時点を被告人が「俺にもやらせろ」と八巻に申し向けた時点としてとらえているようであるから、被告人はそれ以後の行為についてだけ責任を負うべきものである、原判決の右判断は承継的共同正犯の理論に基いていると思われるが、仮に右理論を採用するとしても、無限定にこれを適用するのではなく、被告人が責任を負う範囲を限定的に解すべきである、そして、八巻や被告人の行為と被害者の負った傷害の内容を子細に検討すると、本件では、被害者の受傷はすべて、被告人が共謀したとされている時点より以前に八巻の暴行によって生じたものであって、被告人が暴行に一部関与したとしても、その行為から傷害の結果が発生したとは認められないから、被告人は暴行罪の限度でしか責任を負わない、したがって、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある、というのである。そこで、原審記録を調査し当審における事実取調べの結果を合わせて検討するのに、
1 原判決は、罪となるべき事実として、「被告人は、平成六年一一月三〇日午前一時三〇分ころ、東京都江戸川区清新町一丁目一番四〇号江戸川幼稚園駐車場において、八巻智之が菅原聖に対し、その顔面、頭部等を手拳で数回殴打し、その顔面、背部、左腕等を傘で多数回殴打し、その顔面等を足蹴にするなどの暴行を加えるや、被告人において、「俺にやらせろ」などと言い、八巻と意思を相通じ、共謀の上、被告人において、菅原の顔面等を数回足蹴にし、その顔面等を木の棒で数回殴打するなどの暴行を加え、右各暴行により、同人に加療約六週間を要する胸部・背部打撲、左肩胛骨骨折、加療約二週間を要する左眼瞼打撲傷、結膜下出血、加療約一〇日間を要する頭部・顔面打撲、左上腕・前腕挫傷等の傷害を負わせた。」と判示し、この事実が平成七年法律第九一号による改正前の刑法六〇条、二〇四条に該当するとしている。右の判示内容や証拠上認められる各傷害の発生の経過に照らせば、原判決は、共謀以前に生じた傷害についても、いわゆる承継的共同正犯として、被告人に責任がないとはいえないとの見解をとったものとみられる。
2 所論にかんがみ、まず、原判決が判示する本件各傷害について、それがいかなる暴行によって生じたかを検討してみることにする。<1>加療約六週間を要する胸部・背部打撲、左肩胛骨骨折については、八巻が幼稚園駐車場南側において傘で菅原の背中、脇腹等を殴打した際に生じた可能性が高いといえる。しかし、同駐車場北側に場所を移し、被告人が攻撃に加わってのちに、八巻がなおも菅原の胸や背中を足で蹴っていることや被告人が木の棒でその背中を殴打している事実のあることからすると、これらの行為も右の傷害に関与していることを否定できないとみるべきである。したがって、右傷害に関しては、被告人の行為によって生じた傷害と共犯者八巻の共謀の成立の前後にわたる行為によって生じた傷害とを判然と分離することは不可能であり、これらが一体となって右傷害を形成したものといわなければならない。<2>約二週間を要する左眼瞼打撲傷、結膜下出血については、同駐車場北側で、八巻によって顔面を蹴られた際に生じた可能性が高いが、他方、その他の場面で同人から殴打されたことや被告人から木の棒で殴打されたことが関与している可能性を否定することはできない。しかも、菅原の証言によれば、同人は、被告人から木の棒で殴打されているときに目が見えなくなってきたと述べている点を無視すべきではない。<3>加療約一〇日間を要する頭部・顔面打撲、左上腕・前腕挫傷については、同駐車場南側における八巻の手拳による殴打、傘による殴打、被告人が菅原の身体の上に乗って頭部等を蹴った行為、木の棒による殴打などがその原因とみられ、これらについても、それぞれの行為を分離してどの行為がどれ位のダメージを被害者に与えたかを証拠に基づいて仕分けをすることは不可能である。以上、<1>ないし<3>のいずれの傷害においても、被告人自身が菅原に対して傷害を生じさせるに足りるだけの暴行に及んでいることは認められるものの、被告人自身の暴行によって形成された傷害を独自に取り出して、その質、量を判示することは不可能であり、それらは共犯者八巻が被告人と共謀する前のものを含む暴行と渾然一体となって菅原の傷害を形成しているとしか認定のしようがないのである。
3 ところで、先行行為者の犯行に途中から後行行為者が共謀加担した場合、その後行行為者に対して、加担前に先行行為者が行った行為及びこれによって生じた結果を含む当該犯罪についての共同正犯としての刑責をどの限度まで問うことができるかについては、考え方が分かれている。先行行為者の行為等を認識・認容して一罪の一部に途中から共謀加担した以上、常に全体につき共同正犯の刑責を免れないとする見解や、逆にこれをすべて否定する見解、さらには中間的な考え方として、後行行為者は、原則として共謀加担したとき以後の行為についてのみ刑責を負うが、後行行為者が先行行為者の行為等を自己の犯罪遂行の手段として利用したと評価すべき関係にある場合には、その限度で加担前の行為等について刑責を問われてもやむを得ないとする考え等がある。理念上どのように考えるべきかは大問題であるが、本件のような傷害事犯についてこれを考えるに当たっては、その前にまず、途中加担後の行為とされるものがどの範囲の行為とこれによる結果等を指しているかについてみておかなければならない。
例えば、本件のごとく、先行行為者が傷害行為に及んでいるところへ、後行行為者が途中から共謀加担し、自らも暴行を加えて傷害を負わせたという場合、先行行為者の暴行行為等及びこれによって生じた傷害等の結果と後行行為者のそれとが証拠上明確に区別できるときは、刑責帰属について、前述した理念上の問題を別とすれば、実際上困難な問題はそれほどない。しかし、途中加担後の行為といっても、その範囲が常に明白とは限らない。例えば、後行行為者によって加えられた暴行行為それ自体は特定・識別することができたとしても、それが、結果として単純暴行にとどまったのか、あるいはなんらかの傷害を生じさせたのかの特定・識別は、具体的事案においては案外容易ではない場合がある。また、先行行為者が負傷させた箇所に後行行為者の暴行が重複して加えられ、それが先行行為による傷害の結果を思いのほか悪化させて、後行行為がその行為によって通常独自に生じさせそうな傷害よりもはるかに大きな診断結果となってあらわれる例が実務上みられるが、そうなると、診断書等によって被害者の身に現実に生じたと認められる傷害が、後行行為者の暴行のみによって生じたものなのか、あるいは先行行為者が生じさせていた傷害に後行行為者の暴行による傷害が付加して生じたものなのかの識別が必要となるのに、この識別はかなり困難となる。さらには、共謀加担前及び加担後の双方の暴行が競合し合ってある治療期間を要する傷害を生じたと認められる場合、その中で後行行為者の暴行によって生じた傷害の程度や治療期間をどの範囲と認定すべきかとなるとなおさら困難である。こうしてみると、一口に加担後の行為といっても、その範囲の確定は必ずしも容易ではないときがあるのであって、その点明確な識別・分離が不可能なものについては、後行行為者は、先行行為者の行為ないしそれに基く傷害の結果等について全体として共同正犯としての刑責を負うとすることもやむを得ないというべきであり、またそうする以外に適当な処理方法がないと考えられる(これに対して、加担前の行為ないしこれによる結果等を明確に区別できる場合には、傷害事犯のように、先行行為の結果等が後行行為に影響するという関係が比較的乏しく、いわば個別の傷害行為が寄り集まっているに過ぎない罪においては、途中から加担した後行行為者が、先行行為者の行為ないし結果等を自己の犯罪遂行の手段として利用したと評価すべき特別の事情でもない限り、途中加担者に対して、加担前の行為やこれによって生じた結果等についての刑責を帰属させるべき実質的根拠に乏しいと考えられる。)。
本件被告人は、犯行現場において、八巻が菅原に対して制裁行為に出ていることや菅原がこれによって相当のダメージを負っていることを認識した上で共謀加担し、自らも敢えて暴行に及んだのであり、その際被告人が加えた暴行は、先行行為者が負わせた傷害とかなり広い範囲で競合していて、どの傷害を被告人が加えたか識別・分離が不可能なこと前述のとおりであり、また、分離評価に適さない状態にあるから、被告人としては自己が加えた傷害を中心としつつ、これと分離不能の原判示傷害についてその刑責を問われてやむを得ない場合であると考えられる。
以上の次第であって、被告人に対して、被告人が共謀加担する以前の、八巻の暴行によって生じた傷害についても、共同正犯としての責任を認めた原判決に違法な点はなく、正当として肯認することができる。
(秋山規雄 門野博 福崎伸一郎)